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黙想

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「成長への祈り」

2008年11月2日 礼拝に備えて

エペソ人への手紙 3章14節〜21節

 おはようございます。今朝も主を礼拝するために、共に集えたことを感謝します。

 様々な思い煩いや人間的な考えをすべて主にゆだねて、益と変えて下さる信仰を働かせ、主なる神を誉め讃えることに心を向けていきましょう。

 今朝は、エペソ3章の後半部分から、使徒パウロの捧げた祈りについて、考えてみたいと思います。エペソ人への手紙は、教会について記されています。この手紙の中で祈りの箇所は2つ記されており(もう1つはエペソ1:15〜19)、その内容は、教会形成の鍵となるものです。

 キリストのからだである栄光の神の教会を建て上げる時に、この祈りがおろそかにされてしまうと、形だけの教会になってしまいます。

 主の真理を正しく受け止めて、みこころにかなった教会形成へと進んでいきましょう。

 今朝のメッセージ箇所にあるように、キリストの愛はそれを可能にします。私たち人間だけの力で成し遂げようとするのではなく、三位一体の神と共にそれを成し遂げてゆきましょう。キリストの愛を知り、内なる人が強められて、みこころが成し遂げられます。

 主を信じる私たち一人ひとりが、神ご自身の充ち満ちた様にまで引き上げられるように、聖書の真理に目を向けて行きましょう。

−  H.K.−


「いやいやながらでなく、強いられてでもなく」

2008年10月26日 礼拝に備えて

ネヘミヤ記 11章1〜18節

 民の十分の一の人々をエルサレムに住むようにしたり、自ら進んでその町に住む人たちを祝福するという記事(11:1〜2)が出てきます。

 これは奇妙に感じられるかもしれません。エルサレムの町には、神殿が建てられ、周囲を取り囲む立派な城壁が完成したのです。皆が喜んで住みそうなものです。しかしこの当時、民はいくつかの理由により、エルサレムに住むことに躊躇したのです。百年以上も城壁がない町だったことで、多くのユダヤ人たちは、がれきの山であるこの所から離れ、郊外により広い土地を見つけて家を建てていたのです。その自分の家を捨てて、エルサレムに戻ることはたやすいことではありませんでした。それに都に戻れば、崩された建物や石ころが方々にあり、するべき仕事が山積みになって待っていたこともあるでしょう。

 しかし、それらの困難を承知した上で、立ち上がった人々のグループがありました。11章に記されている名前の数々は、そうした自発的にささげた信仰の勇者ともいうべき人々のリストなのです。「自発的」と書きましたが、この「自分から進んで?〜する」(11:2)というヘブル語動詞は「駆り立てられる」というニュアンスを含んでいます。出エジプト記35:21以降にも同じ語が繰り返し記されていますように、この語は神によって感動与えられ、喜びに満ちて行動したことを表しています。ですから、自発的というよりは神発的というべきかもしれません。私たちの信仰姿勢はどうでしょうか。

−  M.F.−


「真理の扉」

2008年10月19日 礼拝に備えて

エペソ人への手紙 3章1節〜13節

 おはようございます。いつの間にか夏も終わり、暑いのか寒いのかわからない天候が続いていますが、皆様の体調が守られるようにお祈りいたします。

今朝のメッセージは「真理の扉」と題してエペソ3章の前半部分から語らせて頂きます。ここでは「奥義」という単語が出てきますが、これは文字通り奥深い言葉で、非常に奥深い真理を示しています。聖書には他の箇所にも「奥義」が記されていますが、そのほとんどはエペソ人への手紙を記したパウロによって記されています。

そして、そこに記された「奥義」には人間の思いを遥かに超えた神様のお考えが存在します。

この「奥義」は、人間には捉えきれない程の深い真理ですが、同時に測りがたい恵みを与える真理でもあります。私たちがこの「奥義」という真理を正しく知り、それを実践する時に、大きな祝福が注がれます。

私たちは、この真理を正しく知っているでしょうか?私たちはこの真理を正しく実践しているでしょうか?ひとりひとりがもう一度神様の前に立ち、初心に返って真理の道を歩んで行きましょう。

−  H.K.−


「キリストの御国に属するさいわい」

2008年10月12日 礼拝に備えて

マタイの福音書 17章22節〜18章5節

 イエス・キリストは、公生涯の途中でご自分が当時の指導者によって殺害されよみがえることを弟子たちに予告しました。しかも、それを幾度もなされましたが、その都度、弟子たちは真意を理解できず、深い悲しみに陥りました(マタイ17:23)。実は、そこには、キリストが弟子たちのために、いのちを投げ出し、身代わりの死を遂げてくださるという大きな愛が込められていました。ヨハネは「良い牧者は羊のためにいのちを捨てる」と語っています。

 キリストの十字架の死によって贖われた弟子たちは、次には「神の子ども」という特権を受けることができます。聖書は、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)と記しています。

 ですから、キリストの弟子となる者は、みな神の子どもです。そこでの兄弟関係は謙遜と愛の受容に支配されていて、暖かいものです。そこには、競争社会にある能力のある者が勝利者になり、惨めな敗北者が生み出されるような社会秩序ではなく、キリストによる愛の共同体の秩序が存在するのです。「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(マタイ18:4)とあります。

 今朝、あなたはご自分を不幸にしている心の病に気付いておられますか。キリストがあなたを真に幸福にできる医者だと信じようではありませんか。

−  T.M.−


「神との関係の刷新」

2008年10月5日 礼拝に備えて

ネヘミヤ記 10章32〜39節

 廃墟となっていたエルサレムが生まれ変わりつつありました。ゼルバベルが神殿を建設し、エズラが民を指導し、ネヘミヤが町を囲む城壁を再建していったからです。

 これらのバビロン捕囚期後の歴史を記した書(エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記)は、異教社会に取り囲まれた神の民が、神の御名がそしられないように、神を見上げ輝いた彼らの証しが綴られているのです。

ネヘミヤ記
1〜7章8〜13章
城壁の再建民の信仰の再建

 本日の箇所10章は、神との関係を刷新した人々のリストから始まっています。 これらの人々は、第一のものを第一にすることを決心し、契約の印を押したのです。

 彼らの誓約の内容を大きく分けると以下のようになるでしょう

1.日常生活のあらゆる面で、神のみことばに従う決心をしました(28〜31節)。 アウグスティヌスは古い生活に逆戻りする誘惑を受けた時、次のように自分に言い聞かせました。 「おまえは愚かだ。おまえが歩く時、神とともに歩くのを知らないのか。」

2.礼拝生活のすべてのことにおいても、神のみことばに従うことを決心しました。(32〜39節)  最後の節は印象的です。 「私たちは、私たちの神の宮をなおざりにしないのである。」

−  M.F.−

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